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【528年前の今日:コロンブス・デー】世界史から見る戦国時代・・・10月12日、アメリカ大陸の発見は先住民にとって侵略記念日

平民ジャパン「今日は何の日」

◼︎黄金の国ジパングを奪い、犯し、奴隷にせよ!

フランシスコ・ザビエルと渡来した南蛮人たち。イエズス会の布教の目的とは何か? カトリック信仰の布教とのみ解釈するのは楽観的すぎるだろう(写真:パブリックドメイン)

 

 コロンブスの軍勢が血眼になって求めていたのは黄金であり、入植し所有する新たな土地であり、そこに住んでいる人間を奴隷にすることだった。誰もが目指していた憧れの地、攻撃目標はベネツィア人、マルコポーロ(1254〜1324)によって描かれた、莫大な黄金をたたえる幻の地「ジパング」だった。この日本だ。幸運にも、約250年間、ジパングは発見されなかった。

 日本国を中世の中国語で発音した「リーペングォ」がジパングの語源とされる。「東方見聞録」によると、ジパングの住民は肌が白く(誰だ、黄色いと言ったのは?)、穏やかで礼儀正しく、黄金の宮殿を持つ。しかし、捕らえた捕虜の人肉を食べる習慣があるとされている。世界征服をもくろむ旧大陸人にとって、遥か彼方に霞む最後の理想郷だった。ポルトガル人は概念上の東アジア「インディアス」(インド、中国、日本)を目指していた。

 彼らがもっと早く、鎌倉幕府崩壊後の日本に押し寄せていたら、日本の戦乱は血まみれのバトルロワイアルになり、天下統一を果たしたのは誰だったか。征服者たちは、はるか遠い日本ではなく、比較的近い対岸の南北アメリカ大陸に続々とたどり着いた。やつらはそれが「インド」だと思った。アメリカ大陸の先住民にとって、とてつもない悲劇の始まりだった。

 ポルトガル人が日本に「漂着」したのは、コロンブスに遅れること50年後の1541年。その2年後の1543年、種子島に漂着したポルトガル人が鉄砲を持っていた。鉄砲伝来の起源とされていたが、それ以前から倭寇(日本の海賊)が、アジアから日本各地に持ち込んだ説が有力だ。必ずしもポルトガル人のおかげではないので誤解しないように。

 武装教団、石山本願寺の抵抗に手を焼きながら、天下統一を目指す織田信長は、神仏占いを頼らない、当時としてはズバ抜けて合理的な思考と好奇心の持ち主だった。欧州の文明物を持ち込むイエズス会宣教師を受け入れ、当時の最先端にあった西欧文明に興味を持ち、南蛮貿易を庇護した。

 スペイン帝国と日本の交易が始まり、日本から大量の銀が流出した。ここに、布教と交易をセットにしながら、無敵艦隊を後ろ盾に世界征服を目指す、イエズス会による本格的ジパング進攻が始まる。

 ポルトガルのリスボンには大航海時代の栄光をたたえる「発見のモニュメント」という記念碑があり、その下に巨大な世界地図のモザイクがある。コンキスタドール(征服者)に「発見」された世界中の土地が記されている。

 日本はポルトガル船が豊後に漂着した1541年に発見されたという主張を笑い飛ばそう。それは彼ら側からの世界観でしかない。我々は発見されてなどいない。日本人が彼らの漂着船を発見したのだ。主語を自分にしなければ、歴史は奪われる。私たちの物語が、彼らのおとぎ話にされてしまう。

 日本人はアメリカ大陸先住民のように容易に侵略され、奴隷化され、病気をうつされて滅ぼされることはなかった。これこそ義務教育で教えるべき、もっとも重要な史実の一つだ。

 誰もが教科書で顔を知っている、イエズス会創立メンバーのフランシスコ・ザビエルは、親切なおじさんなんかではない。海軍を率いた原理主義教団だったイエズス会は、アフリカから無数の黒人を連れ出し、奴隷を大量生産していた

 「日本人は礼儀正しく、名誉を重んじる、優れた人々」と当時のバテレンの記録に描かれているが、センゴク日本人は高度に武装した好戦的民族であり、小国家同士が軍拡競争と戦争を繰り返していた。

 戦に負ければ領民は戦利品として敵の奴隷となり、女子供は家畜同然に売り飛ばされていた。これを乱取りという。日本でも奴隷は生産されていたし、人身売買はあたりまえだったが、それがバテレンによって輸出できるようになった。
 きれいごと専門の大河ドラマやファンタジー戦国物語では決して描かれない。

 世界人類征服の思想的柱だったキリスト教に対して、日本には八百万神信仰仏教という確固たる宗教思想があった。イエズス会のバテレンたちがあの手この手で日本人を教化し骨抜きにしようとした結果、大村純忠(おおむら・すみただ)を筆頭に、九州、西日本の多くの大名がキリシタン大名になっていった。

 戦国大名たちは、少しでも有利な立場に立ち、近隣の敵を殲滅するため、欲得のため、物心両面で巧みに侵入するキリスト教に抗えず帰依した。彼らがジャパン奴隷化の先導役となって、道徳などない荒廃しきったセンゴク日本から奴隷輸出を促進する結果をもたらしたことも忘れるな。多くの少年少女を含む日本人奴隷がせっせと輸出されていた。

 日本人がAIM(アメリカン・インディアン運動)BLM(ブラック・ライヴズ・マター)に興味も関心もないのは、日本を舞台にした民族の興亡と奴隷の歴史を知らず、当事者意識がないからだ。欧米には黄色人種への根強い差別があることも知らず、名誉白人のつもりの平和ボケジャパンは、人種差別とヘイトがいつまた自分の身に降りかかるかわからないということを知っておいてほしい。

◼︎リアル戦国では大量輸出された「日本人」奴隷

 大河ドラマが描くことのない、リアル戦国時代に大量輸出された日本人奴隷たちはポルトガルをはじめとする欧州、そして、スペイン帝国が征服したマカオ、フィリピン、はるかメキシコにまで連れていかれて朽ち果てた。
 コンキスタドール、バテレンによる奴隷貿易のためだけではない。改宗ユダヤ人、黒人、アラブ人を含めたあらゆる人種の、底辺の船員の使役人、妾、慰めものとして親に売り飛ばされ、連れ去られた少年少女たちも多くいた。

 鉄の鎖でつないだ人間を家畜のように船底に放り込み、積み上げて運び、船上で多くが死んだ。その歴史的事実を掘り起こし、繋ぎ合わせ、物語を再現し、アニメにして、世界中の良い子のみんなに配信したらよい。
 そこまでやってはじめて、クールジャパンは完成する。

 明智光秀を倒して天下統一を果たし、信長の政策を継承した豊臣秀吉だが、九州平定後、長崎がイエズス会の教会領とされていること、日本人が鎖につながれ次々に南蛮船の底に詰め込まれて輸出されていることを知る。

 秀吉は1587年7月24日、『天正十五年六月十八日付覚』『吉利支丹伴天連追放令』を続けて発令、奴隷貿易を禁じ、キリスト教を禁制とした。
 それでもキリシタンと奴隷貿易は黙認されていたが、9年後の1596年、スペインのガレオン船、サンフェリペ号が土佐に漂着し、歴史的舌禍事件がおきる。この船の航海長は、“スペイン帝国は宣教師を世界中に派遣し、布教とともに征服を事業としている。先住民を帰依させてから武力で攻めるのだ”と白状した。

 秀吉は本格的にキリスト教の禁止に乗り出した。
 豊臣家を破った徳川家康もこの政策を踏襲、キリスト教を禁教としてポルトガル人を追放した。土地に縛り付けねばならない百姓が輸出されたら、農業は成り立たない。キリシタンは内政上、安全保障上の最大の脅威だった。

 戦国末期の日本は鉄砲50万丁を持ち、信じられないだろうが、世界最大の銃保有国となった。天下統一後の日本はアジアに例の無い一大軍事国家になっていた。だから鎖国もできた。軍事的にはるかに劣る地域の先住民を七面鳥を撃つように殺戮してきたポルトガル、スペインが手出しのできない帝国になっていた。
 しかし、秀吉も徳川幕府も、バテレンを追放すると同時に刀狩をして、平民から武器を奪った。バテレンからは国を守ったが、平民は武装解除されて、今日に至る。それが必ずしもいいことだったのか?

 奴隷にされないためには武器を持つことが必須であり、軍事力が重要だということを、日本の子供たちに教えよう。

次のページバテレンに奴隷として売られた日本人の過去を忘れるな!

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猫島 カツヲ

ねこじま かつを

ストリート系社会評論家。ハーバード大学大学院卒業。

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